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自民党の憲法改正草案について

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新設草案第3条(国旗及び国家)とはどういうもの?

ここでは、自民党憲法草案において、新設された草案第三条の部分について見てみましょう。

その草案第3条とは、「国旗及び国歌」という見出しの下に設けられているものであり

  • 「一. 国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。」
  • 「二. 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」

という内容のものです。

まず、事実関係としましては、この国旗と国歌に関する規定は、この憲法草案に記載されるまでもなく、 1999年に公布・施行された「国旗及び国歌に関する法律」で、国旗が日章旗であり、国家が君が代である、という旨が明確に定められています。

また判例上では、教育現場などにおいて、君が代の演奏・斉唱を職務として求めることについては、現行憲法第19条の思想・信条の自由に違反するものではなく、要するに公的機関における職務として、通常的なものである、という判決が趨勢をなしています。自民等草案においては、上記の国旗・国家法案で記されている国旗と国歌の定義に加えて、国民は、それらを尊重せねばならないという「国民への義務規定」が設けられています。この部分は、議論を呼びそうな部分ですね。

なぜならこの部分は、憲法19条で規定されている思想信条の自由には、部分的な例外が存在するという旨を述べている条文だと解釈することができるわけですが、憲法というものの機能を考えた場合、例えば憲法上の国民の三大義務とされる「教育、勤労、納税」自体が、実はそもそも憲法に不相応であるという議論が長年、なされています。ゆえに思想信条云々以前に、憲法に新たな義務規定を設けること自体について、法学上の反発が予想されるわけです。

新設草案第6条(天皇の国事行為等)について

ここでは自民党憲法草案における天皇の国事行為に関わる部分について、見ていきます。

ポイントは、新設項目の第六条五項です。

「天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う」が新たに設けられました。

さらに現行第1項の「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」が、「国民のために、国会の指名に基づいて・・・」と文言の追加があり、さらに現行第一章第一条の有名な「天皇は、日本国の象徴であり」が、草案では「日本国の元首であり」に置き換えられました。

総じて言えることは立憲君主制における「君主」の強調です。天皇制については多様な見解がありますが、国家主義的な人々だけが、天皇制の存置を唱えているわけではない、という点がユニークです(ここで言う国家主義というのは国家《Nation State》が、その自らの同定手順によって国民《a nation》として定める人々と、その人々が居住する領土、その人々が継承してきたシステム等の抽象的対象を、特権的に称揚する立場を指します。馴染みある郷土や顔見知りの共同体への愛着では必ずしもない点がポイントです)。

例えば、国内の排外主義者は、その信条として、天皇を崇拝している場合が多く、天皇が排外主義等に対して否定的発言をすることが、翻って排外主義や他国への敵対的態度の抑止につながる可能性があり得ます。しかるにリベラルな立場からさえ、現行天皇制に評価を与える人もいます。

また、天皇制という問題は、明仁陛下(今上天皇)や徳仁親王(皇太子)が、その皇室というメンバーシップを放棄すれば終了という話でもなく、それというのも皇室機関には、千五百年以上のあいだ、海外の権力者との交際の窓口であり続け、なおかつその情報が蓄積され続けている「機密情報機関」の側面があり、なおかつ対外への重要な交渉経路と見なすことが出来るためです。

第12条(国民の責務)の憲法改正草案内容

ここでは自民党の憲法改正草案第12条について見ていきましょう。

現行憲法においては、この第12条は、憲法によって保証されている国民の権利について、これを濫用してはならず、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」と定めるものです。「自由にも制限がある」という図式で、公民科の授業などでもよく取り上げられる部分ですよね。

この部分が自民党の草案では「国民の責務」という小見出しが設けられつつ「常に公共の福祉のために・・・」の部分が「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」という条文に置き換えられています。

ここでのポイントは、否定辞が1箇所付け加わったことですね。現行憲法にも「濫用してはならない」と否定辞が設けられていますが、ここに公益と公の秩序に反しては「ならない」と、もうひとつ否定辞が加わったわけです。

現行憲法の12条の解釈としては、憲法が「法律に対する法」である点を押さえますと、特定の者が、その他大勢の利益を害してまでその自由の利益を享受し得るような法律や判例を設けてはならない、という解釈になります。この解釈原則に従っていれば、自民党草案でも同様に解釈することが可能かと思われますし、その強い否定の文言を、立法過程への文言であると捉えればむしろ現行のものよりも憲法的であると言えなくもありません。

ただ、ニュアンスとして国民に対して直接秩序への迎合を促すかのような表現への変化とも取れますので、その点のチェックが必要になるでしょう。

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第13条(人としての尊重等)の憲法改正草案内容

憲法第12条にも関連しますが、ここでは自民党の憲法改正草案第13条の修正案について見ていきます。

現行憲法第13条の条文は「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で男、最大の尊重を必要とする」というものです

。これが自民党の修正案においては、憲法第12条の場合と似ていて、「公共の福祉に反しない限り」の部分が「公益及び公の秩序に反しない限り」に置き換えられています。また細かな部分ですが、現行憲法の「個人として」の部分が「人として」に置き換えられています。

法学に準拠する厳密な解釈を用いれば、この自民党の修正案と、現行憲法の条文に、解釈上の違いは見られないかと思われますが、重要なことは、憲法の解釈について特権的なポジションを持つのはその時の政権政党であって、いつでも法学に厳密に準拠する解釈が行われるわけではないという点です。

つまり、憲法の文言をチェックする場合には、それが憲法と特殊な機能を持つ法に相応しいか否かという面のみならず、政権政党が拡大解釈をする余地を有していないかどうか、という点も見る必要があります。その様な観点で見た場合に、自民党憲法草案の第12条と、この第13条は、その現行憲法と比較した場合の文面状のニュアンスの変化に、目を向ける必要があります。

つまり「個人」という表現を廃し、「公の秩序」という文言を用いている部分は、集団的規範への適合を推奨する意味合いにとれるわけですね。この部分をどう評価するか、が重要です。

第14条(法の下の平等)の憲法改正草案内容

自民党の憲法草案における第14条は、現行憲法の第14条を修正したものであり、この部分は国民の法の下における平等を規定する部分であり、国民の基本的人権の基礎部分を規定するものですので、重要な箇所です。

現行憲法ではすべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により」差別されない(つまりそのような差別を含む立法や判決は認められない)というものです。自民党草案では、この差別がなされてはならない項目に「障害の有無」が加わっています。障害を持つ人に不利益になるような法律は作ってはならないし、現行の法律においてそのようなものが見られれば違憲審査を要求できる、というわけですね。

この部分に加え、自民党草案ではこの第14条の第三項の部分での修正を行っています。現行憲法では「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する」ですが、草案では、この条文中の「いかなる時も伴はない」の部分が削除されています。

これも深読みをしようと思えば幾らでも深読みができる部分だと言えますし、一方で、今時誰もこのような勲章に対して特権などというものを認めていないのだから、わざわざ書いておく必要もあるまい、という程度の理由で削除されているようにも思えます。しかし国事として現に、勲章の授与が行われてもいます。これら国事が廃止されるならともかく、国家による運営になっている以上、「特権」項の廃止について訝しがられても無理はないかも知れません。

第19条(思想及び良心の自由)の憲法改正草案内容

現行憲法において、頻繁に様々な議論の中に登場する条文のひとつが、第19条です。

現行憲法の第19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」となっています。おなじみの条文ですね。非常にシンプルな一文です。これが自民党の修正案ではどうなっているのかというと、「思想及び良心の自由」という小見出しが付け加えられた上で、「思想及び良心の自由は、保障する」という表現に置き換わっています。

シンプルな文章であることに変わりは有りませんが、この表現の変化は注目に値するものです。

まず文章の意味合い、言葉の意味合いからして、思想・良心の自由の不可侵性を「弱めよう」という意図がわりと大胆に伝わる条文です。

「侵してはならない」は、「全否定」に類するものですが、いっぽうの「保障する」は、「部分的に保障をおこなってさえいれば、その文言の要件を満たせる」という性質を持たされた表現です。つまり「一部は保障するが全部ではない」=「必ずしも侵さないわけではない」という部分否定です。

そもそも、このような些細な部分の表現を「わざわざ」変更した、というところがポイントです。自民党の憲法草案全体に見られる1つの傾向として、国家もしくは集団の意思決定が、個人の意思決定に優越する場面が多々あるのだ、という面を強調していることが挙げられます。もちろん、社会の秩序ということを考えた場合、そのような場面が登場せざるを得ないのは自明ですが、憲法というものはそのような優越(法治)の範囲に「制限をかける」方向にその機能が期待されているということを頭に置かねばなりません。

第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)の憲法改正内容

自民党は従来より、保守政党としてカテゴライズされることが日本では一般的な政党です。もちろん本来は、保守といっても、その意味は多様であり、自民党の来歴をたどった場合に、国の歳入を用いて、地方に利益と利権を享受させるという方式は、一種の集合的再配分とも見なされますので自民党を安易に「保守」と分類することは、実は難しい、という側面があります。

歴史的に保守という概念は、革命期フランスにおいて議会の「右」側に座っていた陣営が、急進的な制度改革をしようとしていた「左」側に座していた陣営に対するときの思想や態度のことを指していた、とされます。この経緯ゆえに「保守」と「右翼」はセットでよく用いられます。

その際の「右」陣営の思想というのは、「左」陣営が、社会制度なるものを改良しさえすれば、世の中の不幸や問題は万事解決されるであろう、という一種の楽観主義に対する懐疑でした。この線で見たとき、一般に介護や子育てを「家族」の内で解決すべきである、という社会観や家族観は「保守」に類するものとされます。自民党憲法改正草案の第24条の新設された一項は、その意味で「保守」的かも知れません。

すなわちそこでは「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と記されています。この条文についても、正統的な憲法解釈ならば、「家族の助け合いを妨害したり、家族を尊重しない法律や判決は認められない」という意味にしかなりませんが、時の政権が、この正統解釈に従う保証はない、という点に注意が必要です。

第36条(拷問及び残虐の刑罰の禁止)の憲法改正内容

ここでは刑事罰などに関する、憲法の条文についての自民党の修正草案について見てみましょう。憲法第36条に関する規定です。

現行憲法においては、第36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」というシンプルな一文から成り立っています。自民党の修正草案においては、この条文のなかの「絶対に」の部分が削除されています。

憲法改正を行うにあたっては、もしそれが全面改正であるような場合には、ここの上部についての細かな表現に関しても、時代に即した表現が導入されるべきであろう、と比較的多くの人が考えることでしょう。それは極めて自然な考えかたであると思います。自民党の憲法改正草案においては、上記のような細かな文言の修正がところどころに見られ、このような修正については今述べたような現代的な文言への置き換え、という側面で捉えられないこともありません。要するに「絶対に」などという文言を入れずとも「禁止する」だけで意味が成立しているではないか、ということです。表現の簡略化による条文の整理ですね。気持ちは良くわかる気がします。

いっぽうで、修正案を提示される側の人間にとってみると、自ずと修正前の文言との意味合いの相違に目が行きます。「絶対にこれを禁ずる」が「これを禁ずる」に変化した場合、あたかも「禁じない例外が設けられるのでは」と考えてしまいますよね。この修正案自体にどうこう、という問題よりも、憲法の修正に立ち会う場合、このような「些細な意味の違い」のひとつひとつが、「何をどう修正しても」立ちはだかるという点を意識する必要があるでしょう。

第97条(最高法規)の憲法改正(削除)について

現行の憲法第97条は、「最高法規」という見出しによる第10章に属するものですが、この第97条が、自民党の憲法草案においては、まるごと削除されています。

この第97条というのは「憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に耐え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という条文になっています。

この部分が削除されたわけですね。確かに憲法と言う法規の機能面を考えるならば、このような法律に対する何らの制限機能も持たないようにも見える条文(抽象的な説明文)は、少なくとも正統な解釈に従えば「あってもなくても良い」ということになるでしょう。

しかしいっぽうで、この条文の文言のなかに「基本的人権は(・・・)現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という部分を、「である」という説明文としてではなく、「侵すことのできない永久の権利なのだから、侵してはいけない」という命令文に読み替えることも可能です。そして、このような読み替えをした場合に、思い起こされるのが、やはりこの自民党の憲法草案全体に見られる、「国家的・集団的意志決定は時に個人の意志決定に優位する」ということを強調する姿勢です。

例えば草案第19条において、現行の思想・良心の自由を「侵してはならない」の表現が「保証する」に置き換えられている部分と、この第97条の削除とは、その姿勢のつながりが見える、とも解釈可能です。

第99条(草案)の憲法改正内容

現行憲法の第99条には、次のようなことが書かれています。

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法尊重し擁護する義務を負ふ」。

「摂政」という言葉は、歴史の授業で習ったことがあるであろう「摂政・関白」と同義であり、要するに君主が疾病を患っていたり、幼少であったりする場合に、その君主の代わりに政務を行う者のことを指し、歴史上通例は、その君主の子息や親類が行うことになっていました。このような経緯ゆえ、冒頭の憲法条文における「摂政」とは、皇太子をはじめとする天皇の親族、とりわけ天皇に代わり国事を行う準位が高い者のことを指す、と捉えましょう。

さて、雑学にそれていますが、自民党憲法草案においては、この第99条にあたる部分が、草案第102条において2項に分けて修正されています。

  • 「一.全ての国民は、この憲法を尊重しなければならない」
  • 「二. 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」

この改正については多方面からの批判が寄せられると予想されます。このような改正の仕方は「憲法に対する無理解」と映ってしまう可能性が高いからです。憲法というのは、法を作る国会議員、法に準じて行政を行う国務大臣・公務員・天皇・摂政、そして法に準じて判決を行う裁判官が、誰よりも注意深くこの憲法を尊重する必要がある、という理解が通例ゆえにそうなります。

ただし、これには補足が必要で、原則論から言えば、上記の国務大臣をはじめとする役回りは、国民の意志決定の代理に過ぎません。ゆえにその理路で言えば、憲法を尊重せねばならないのはやはり国民である、と言うことも同時に出来ます。結局この場合も重要なのは、憲法の文言自体というよりも、時の政権がこれをどう解釈しうるか、の余地のほうです。

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